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2014年11月 8日 (土)

思い出

昨日見たニュースで驚いたものがあった。

ファッション・ジャーナリストの大内順子さんがお亡くなりになっていたそうだ。

なんで僕がその方のことを取り上げるのか?なんか関係あるの?と思う人もいると思う。

果たしてこういうことを書いていいのかどうかわからないけれど、大内先生には本当にお世話になったので、感謝の意味を込めて思い出を書かせて頂こうと思う。

彼女と僕に何か関係あるのか?と聞かれると、大いにある。

直接お会いしてお話もさせて頂いたことがある。

80歳でお亡くなりになったとのことなので、僕がお会いした頃は、70歳前後だと思う。
実年齢を今回知って、とても驚いた。とてもそういう年齢の方とは思えなかったから。

なんでそういう大御所の人と僕が関係あったのかというと、大内先生の娘さん、宮内彩さんとのご縁を介して。

彩さんはNZ在住。

その当時僕が関わっていた日本語情報誌の中に、彩さんがNZファッションについて取り上げるというページがあった。

そのページのために、僕は彩さんに同行して撮影していたのである。

娘さんがNZにいるということで、大内先生は彼女やお孫さんたちに会うために時々NZにいらしていた。お忍びで。

初めてお会いした時、大内先生を撮影させて頂く、という機会を頂戴した。

今でも覚えている。

緊張で指が震えていたことを。
完全に大内先生の「オーラ」に圧倒されていたのだと思う。

ちなみに、そういう緊張で指が震えたことって、写心家人生としては数回。その内の1回が大内先生だったのである。

シャッターを切る度に、大内先生はポーズを変えていらした。それがとても自然だった。

その頃は全く知らなかったのだけれど、元々はモデルさんでもあったとのこと。
だから、自然にポージングが出来たのである。

その当時、僕はファッション業界のことなんてさっぱりわからなかったので、大内先生がどういう方か、どのくらいすごい方かよくわかっていなかった。

僕自身、写真の仕事を始めてまだ駆け出し。二流どころか三流以下。

普通であれば、つまり、日本にいたら、そんな人間が大内先生のような人と直接お会いしてお話させていただくことなんてまずありえないだろう。
写真を撮らせて頂く、ということも含めて。

日本のファッション業界にいる人なら、大内先生は雲の上の人だったと思う。

そんな人と間近に2回もお会いしてお話させて頂き、また、時にはメールでも励まして頂いていた。

こういうことが実現したのも、NZという国のお陰だったと思う。

よく言えば、NZにいると、日本側の身分やら何やらを「無効」にしてくれる。
日本のシガラミから逃れたい人にとっては、NZにいれば「素」の状態になれるのである。

きっと大内先生もNZにいらして、「素」の状態で滞在されていたと思う。

2回目にお会いした時だったかな。たまたまタイミングが合ったので、彩さんの取材に大内先生が同行する、ということがあった。

これは日本では絶対に有り得ないことだと思うけれど、その彩さんの取材同行時、僕のオンボロ車に乗って頂いたのである。

本当に当時の車は小さかったしオンボロ。

それでも文句もおっしゃらず、狭い車内に我慢して乗って頂いた。僕としては超恐縮だったのだけれど...

また、お情け的なところもあったと思うのだけれど、その当時運営されていた大内先生のWebサイトの方で、NZ風景写真の連載もさせて頂いていた。

そういう仕事はその時が初めて。
その連載には文字数の制限があり、その制限内に写真やその場所の説明をどうまとめるか、というのに苦労した。
でも、それがあったお陰で、短い文章での表現方法を勉強させて頂き、とても有り難い機会だったのである。

お会いした当時、つまり、その連載の頃はまだ2冊のNZ風景写真集は出ていなかった。

日本側の出版社に色々とアプローチをしていたけれど、全くダメ。

そういう時に、大内先生からメールを頂いたことがある。

どういう内容だったか覚えていない。
(過去のメールは全て残っているので調べればわかるけれど、あえてそれはしない。)

そのメールを頂いてから、流れが変わった。つまり、僕自身考え方が変わった。

日本がダメならNZ側の出版社にアプローチしてみては?と。

その結果、1社からいい返事をもらえ、結果的に2冊のNZ風景写真集を出すことが出来た。

直接大内先生がどうこうということではなかったけれど、間接的に大内先生が関わっていて、大内先生のメールが一つの転機だったなぁ、と今でもあの頃のことを思い出すのである。

あと、お会いした時にお聞きした話で覚えていることは、彼女の自伝的なこと。

彼女は日本において、海外のファッションを日本に紹介するという分野の草分け的存在。

彼女がいたから、彼女がその頃頑張ってくれたお陰で今の日本のファッション業界があると言ってもいいのではないかと思う。

その頃の苦労話をお聞きすると、今の自分なんて本当に大したことないなぁ、と思わされた。

取材をするためにあちこち駆けまわったり交渉したり、ビデオカメラの手配をご自身でされたりと、ものすごく大変なことを色々とされたのである。

そういう話を聞いて、僕自身は何かあると、大内先生はもっと大変だったんだから、僕の今の大変さなんて、と、大内先生から聞いたその話を思い出して自分を励ましていたのである。

お話をさせて頂いて思ったこと。

超一流の人って、本当に気さくなんだなぁ、ということ。

ちょっと有名になってきた人って天狗になって偉そうにしていたりするけれど、ここまで一流になるとそういうのが全くなく、本当に気さくに接してくれるのである。

こういう点も見習いたいと思った次第。

ファッションそのものについては僕はとやかく言えないのだけれど、お会いして着ていらっしゃる服を見ると、とてもシンプル。

確か黒ベースのシンプルな服だったと思う。

一方、NZ Fashion Weekというイベントで見かけた、日本から来たファッション誌の編集者の服装は対照的で、派手派手。

別にその編集者のファッションが悪いとかそういうことではないのだけれど、色んなファッションを見尽くした人って最終的にはそういうシンプルなものに戻るのかなぁ、なんて思った次第。

娘さんの彩さんも同じくシンプルな服装が多かった。

こういうことを踏まえて思った。

芸術でも何でも、あっちいったりこっちいったりしても、最終的には原点というか、シンプルなものに戻るんだなぁ、と。

僕自身の写真のことで言えば、あっちこっちにいくことなく、原点の「美しいもの」を追い求める、という姿勢は一切崩していない。

ずーっとこういう考えてやってこられているのも、大内先生や彩さんを間近で見られたからだと思う。

こういう点でも、僕の写真に対して影響を与えてくれている。

これは大内先生の話ではなく、彩さんのことなんだけれど、親子揃ってすごいと思わされたことがある。

これを書いてしまうと問題があるかも知れないので書けないのだけれど、お二人ともファッションを見る目というのは確かなんだな、ということ。

詳しく書けないからどう確かかという説明ができないのが残念だけれど、なんであれ、「その通り」になっていったのである。

こうやって色々と思い出すと、直接間接関係なく、僕の写真/写心というものに色々と影響を与えてくれた存在だったんだなぁということを改めて認識した次第。

もっともっと大きくなって、胸張ってお礼を言いたかったけれど、今は全くそういう状態ではない。

それでも、僕の写心家人生にとって、大内先生の存在は「有り難かった」ので、この場をお借りしてお礼申し上げます。

本当に有難うございました。

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