昨日から、多くの方に地震について心配して頂いた。
嬉しく思います。
僕自身、特に何が出来るということもないので、日々こなすべきことをやっているところです。
現地の方では、まだM5前後の余震が続いており、予断を許さない状況。
最新の情報では、CTVビルに閉じ込められていた日本人学生の生存は絶望的、という見解が出ているらしい。
危険なので、作業員による目視は出来ていないらしいけれど、生存している様子がない、とのこと。
もし、本当であるなら、とても悲しい知らせである。なんと言っていいか、言葉もありません。
とにかく、被害がこれ以上広がらず、復旧が早く進むことを祈っております。
NZに馴染みのない人も結構いるようなので、僕が住んでいるところと今回の被災地Christchurchの位置関係を地図を使ってご覧頂きましょう。
メールでお知らせした人には既に書いたけれど、僕が住んでいるAuckland(右の地図線の上端)とChristchurch(右の地図線の下端)の位置関係は、日本で言えば、札幌と東京という感じ。
だから、Aucklandには全く影響がなかった。
もしあったとしたら、間違いなく、NZ全土が大変なことになっていたと思う。
昨日のBlogにも書いたけれど、Christchurchでは9月から大きな地震が3回もあった。
冬が終わり、これから活動が本格化するという9月4日に1回目。
震度自体は、今回より大きかったけれど、場所が離れていたこともあり、また、朝5時前だったこともあり、被害も今回ほどではなかった。
余震がしばらく続いたけれど、ようやく町も機能し始め、クリスマスを楽しく過ごした直後の12月26日に2回目。
この日はBoxing Dayで、バーゲンセールで賑わう日だったけれど、昼間に起こってしまったために、中止。
先日、Boxing Dayやりなおしセールをし、それなりの成功をした、というニュースがあった。
そして、2月になり、フラワー・フェスティバルで観光客が賑わうかき入れ時に、今回の地震。
Christchurchは、リーマン・ショック、豚インフル以降、観光客が減っていた。特に冬がひどい。
一昨年の冬から落ち込みが激しくなり、去年の冬は、更に落ち込んでいたようだ。
南島に来る観光客が、Christchurchをすぐに通り抜け、Mt. Cook、Queenstownに行ってしまったためにそういう状況になってしまったようだ。
そういう状況を見て、なんとかならんのか、と思っていたけれど、個人レベルではどうしようもない。
だから、自然の流れに任せるしかない。春以降になれば少しずつ賑わいを戻すから。
夏が来て、一番の活動時期になって、さあ、これから賑わう、賑わっている、という時にこんなことになってしまうなんて。
しばらくの間、間違いなく観光客は来なくなるだろうし、留学生もしかり。
(これは自然災害なので、Christchurchだろうが日本だろうが同じなのだけれど、印象がよくない。)
現状の復旧もものすごく大事だけれど、今後のことを考えると...
僕自身、何が出来るだろうか?と考えるけれど、大したことは出来そうもない。申し訳ないけれど。
それでも、少しでも、ということで、昨日させて頂いたことが一つある。
友達の心配メールに混じって、日本側のテレビ局のある番組がアプローチしてきた。
なんでも、Christchurchが被災する前の写真や映像は持っていないか、持っていれば、番組で使わせてほしい、と。
一瞬考えたけれど、僕が出来ることってこのくらいかも、と思って、協力させて頂くことにした。
(ちなみに、お金は頂いておりません。ただ、著作権の問題があるので、僕の名前は入れて頂くことにした。それは職業柄仕方のないことなので、ご理解頂きたい。)
大聖堂の写真、町並みの写真、とのことだったので、探してみたけれど、思った以上に町並みの写真がなかった。
いや、あっても、観光写真ではないので、そういう番組には不向き。
急ぎだったので、ざっくり選んで、先方に見て頂いて、指定された写真を送った。
それから色々と考えた。
僕の撮りたい写真ってなんだろうって。
今回のような状態になったら、報道カメラマンやそういうものを撮影している人からすれば、言い方は変だけれど、勇んで撮るだろう。
それが彼らのやるべきことだから。
じゃぁ、僕がそういう現場に行って、写真を撮りたいか?というと、そういう気持ちにはなれない。
そういう写真を撮って、「幸せ気分」になれるのであればいいけれど、当然そんな風にはなれず、見ているだけで押し潰されそうで、とても気合いを入れて撮ろう、こういう写真を撮ろうという気にはなれない。
(昨日の映像を観ているだけで、見るに耐えなかった。そして、一度だけ、お葬式の撮影をしたことがあったけれど、それと同じ心境だ。)
たまたま、その現場に居合わせたのであれば撮るかもしれないけれど、それはそうなってみないとなんとも言えない。
何年か前に、ある人と、戦場で撮影することについて議論したけれど、その時、僕はそういうものに興味がないし、そういう惨状を世に伝える、という役割は必要だろうけれど、それは僕の役割ではないと思っている、と言った。
今回の件で、なおさらそれが強くなった。
そういう写真撮影は、それが出来る人に任せたいと思う。
僕がやりたいこと、それは、あ、美しいな、色んな人に見て喜んでほしいな、と思える写真を撮ること。そして、それをより美しく撮ること。
これしかない、というのが余計に強くなった。
今回提供させて頂いた写真は、そういう考えの延長で出させて頂いている。
もちろん、「普通」の写真がほとんどだったので、上記とは若干ずれてしまうのが残念だけれど、基本的な考えはそうである。
その番組で使われないかも、と言われていたけれど、どうやら使われたようだ。
めでたい話ではないので、親以外誰にも言っていなかったのだけれど、偶然その番組を観た何人かの人からメールをもらった。
こういう形ではなく、もっといい形で日本のテレビに取り上げてもらえるのが理想なんだけれど。
とにかく、それら写真を見て、被災前はそうだったんだ、と思い、少しでも心に留めて頂ければ、と思っている。
これが、僕がフォトグラファーとして出来ることと思っているし、これからもこのスタンスは変わらないだろう。
在りし日の姿、という写真にはなってほしくないけれど、撮ってきた写真は大事にしたいと思う。
そして、そういう写真を何らかの形で多くの人に見て頂ければと思っている。
あと、メールで、旅行していないか心配で、というものがいくつかあった。
幸いにも、今の僕にはそんなに自由になるお金がなく、AKLでじっとしている。
今は写心展をしているから余計にね。仕事も入っているし。
もし、お金があったら、あっちこっち行っていて、もしかしたら、ということもあったかもしれない。
僕自身、2月のChristchurch、厳密に言えば、フラワー・フェスティバルが開催されている時のChristchurchには一度も行っていない。
もし、お金があったら・・・
いわずもがな、である。
不謹慎だ、と言ってほしくないけれど、有り余るほどのお金がなくて、ある意味よかったと思う。
いつの日か、Christchurchが盛り上がる何かが出来れば、と考えている。
きっと何か出来ると思っているので、そのタイミングを待つことにする。
番組に送った写真を何枚かここに置いておきます。
Christchurchのシンボルであった大聖堂。復旧しても、いつ見られるかはわからない。
大聖堂広場前から、博物館に通じる通り。
町中。
City Mall。
そして、町の全容。
本当に早く復旧しますように。
被害がこれ以上広がらないように。
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