原作を読む
今日は梅雨のような雨の降り方だった。
ひんやりとして、とても夏とは思えないくらい。
過ごしやすいからいいけれど。
猫。
なんと、復活していた。
僕はてっきり、中学生が持っていったのかと思っていたけれど、実は遊んでいただけで、猫はその場所にいた?
でも、ここ数日は本当に静かだったんだけれど...
なんであれ、またミャーミャーという鳴き声が聞こえてくることになる。
この間、映画「おくりびと」を観たと書いた。
いい映画だったので、原作を読んでみようと思った。
が、映画には、原作のクレジットはない。
調べてみると、原作者が載せないでくれ、とお願いしたらしい。
理由は、自分の書いた本の主張がそこには取り上げられていないから。
ふーん、そうなんだ、と思いながら、その原作にあたる本を読んでみた。
納棺夫日記/青木新門(桂書房)
それからの納棺夫日記/青木新門(法蔵館)
前者がそれで、後者は、その後のこと、前者の本を補う形で書かれている。
読んで思った。
これ、小説ではないな、と。
日記というほど日記的には書かれていないし、どちらかと言えば、随想録。
読み終わった感想。
よくもまぁ、この本からあの映画を作られたな、と感心してしまった。(笑)
だって、そこに書かれているエピソードって、特に納棺に関しては、映画ほど描かれていないからね。
一貫したストーリーもないし。
映画を作った人たちは、ものすごい想像力を発揮して、あの映画を作ったと言ってもいいだろう。(笑)
これはすごいことで、大いに讃えたいと思う。
確かに、原作者の言っている通り、彼の言いたいことのほとんどは映画では取り上げられていない。
本の中で描かれていることは、ほとんどが作者の「生と死」「ひかり」というものの考え方と言っていい。
それらを、宗教や宮沢賢治やら、他先人たちの言葉を借りて、考察している。
これを映画で表現するのは難しいだろう、いくらなんでも。
だから、映画は映画、この本はこの本としてとらえた方がいいと思う。
あと、映画に感動して原作本を読んだ人たちの中には、「宗教的」な記述が多いので、それが受け入れられなかった、という人もいたようだ。
僕が読む限り、そこまで嫌悪するほどではないと思うのだけれど?
「死」を扱うには、どうしても「宗教的」な表現というか、引用が必要になってくると思う。
それ以外に「死」を扱っているような分野ってそうそうないからねぇ。
僕はこれを読んで、納棺という仕事を通じて作者は何を感じ、何を思ったかに興味を持った。
それはその仕事に携わっているから思ったこと。
独自の視点があると思う。
それは、医者でもなく、お坊さんでもなく、その他死を扱う仕事に従事している人たちとは違った観点・視点なんだと思う。
「それからの・・・」の方は、1作目を補うような形。
重複している部分が結構あるし、1作目で言い切れなかったことが書かれている。
あと、僕的にはまってしまった理由としては、作者が親鸞をたくさん取り上げているところ。
ここしばらく、僕はその親鸞の浄土真宗と関わりを持ったため、余計に興味を持ったし、なるほど、と思わされた。
生きている限り、必ず「死」というものを意識しないといけない。
そこから目を背けることも出来ない。
それが宗教的なものであろうとなんであろう、彼が感じたことと似たようなことをいつか経験するのかもしれない。
もう一つ、お、と思ったのが、以前、読んだことのあるエリザベス・キューブラー=ロスが取り上げられていたこと。
やはり死を扱う人は彼女の本を読むのね。
原作から入るのではなく、まずは、映画「おくりびと」を観てから、この2冊を読むと、より深まりがあると思う。
僕はこの3点セットでお勧めしたい。
映画は映画ですごくいい。
原作本は原作本で、考えさせられる。
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