時代は繰り返す
暑い、暑すぎる...
なんでこんなに残暑が厳しいんだ!
ふと思った。
鳥って、暑さを感じていないのだろうか?
涼し気な(?)白鷺。
夕日と雲
昨日は本当に特異日だったんだな、というのがよくわかる。
コンビニがスーパーマーケット化しているらしい。
スーパーマーケットとの大きな違いは、生鮮食品のない中食(加工品の食べ物)を充実させたということ。
振り返れば、スーパーマーケットが伸びていた時は、デパートがダメになり始め、スーパーマーケットがデパートのように大型化した。今のモールがそれ。
スーパーマーケットが伸び悩み、コンビニが躍進を始めると、この記事のようにコンビニがスーパーマーケット化。
コンビニの多機能が限界になったので、こういう形になったのだろう。
これはこういう業界だけではなく、どういう業界でも同じ。
家電やコンピュータの世界がまさしくそうだよね。
例えば、単機能でとても便利!ということでヒットした商品。
それが売れると、次から次へと機能が追加され、初期の頃の単純な素朴な良さが失われていってしまう。
身近で一番わかり易いのが携帯電話かな?
2000年前後は、電話機としてはとても小さくなり、持ち運びも便利になった。
でも、行き着くところまで行ってしまうと(小さくなってしまうと)、今度はそれにドンドン機能が追加され、大型化。
バッテリーの持ちは良かったのに、大型化多機能化することにより、バッテリーの持ちが悪くなった。
そして、スマホが登場。
そのスマホは、今となってはPC化している。
今のスマホってなんでも出来るように見えるけれど、突き詰めていくと、端末の小ささが致命的で、色んな意味で中途半端。(笑)
ニッチな話で言えば、ポメラ。
これは、メモ機能に絞った小型端末。
最初はそのシンプルさ、潔さが良かったのに、時間の流れとともに、結局はPCのような感じになってしまっている。
だって、ATOKが使えるんだから。(笑)
今となってはもう廃れてしまったワープロもそう。
PCがまだ高価で一般的ではなかった頃、ワープロは文字入力機能だけではなく、どんどん機能を追加していき、PCのようになっていった。
どういう専用端末でも、そこに留まることなく、PC化していった。
そういう状況を見ると、今のPCって、ある意味、万能で理想形なのではないだろうか?と思う。
このPCから機能を取り出して、そういう専門端末を作っても、結局はPC化してしまうのだから。
パラドックスだね。(笑)
コンピュータ・システムで言えば、1990年前半から半ばは、CSSというClient Server Systemというのが流行った。
この頃にネットワークが一般的になり始めたのである。
サーバーという親玉にデータを置いたり、プリント機能をもたせたり、と、クライアントPCで色々とやっていたことを肩代わりさせ、負荷分散させた。
PCのハードウェア性能が良くなってくると、今度は、サーバー側に全てを持たせ、クライアント側には何も持たず(OSも持たず)、全てサーバーからOSも含めてダウンロードし、モニターに表示するだけっていうのになった。
(これはあまり流行らず、すぐに廃れてしまったけれど。)
PC性能が更に向上していくと、2000年以降、Web2.0とか、最近だとクラウドとか、サーバー側で何かをするというのが流行ったし、流行っている。
また元に戻っている。
こういうシステムやサービスは言葉が違うだけで、基本は、その1990年半ばに流行ったCSSの概念とそんなに違わない。
細かく見ると、Webの世界も同じ。
最初は、ブラウザというソフトウェアを使って、HTMLで表示させるという単機能だった。
HTMLファイルをダウンロードし、クライアント側で処理し、表示する。
それだと限界、例えばDBを扱うような多量データ処理の場合は限界があるので、今度はサーバ側で処理して、その結果だけをクライアント側で表示するようになった。
それもまた限界が来て、複雑なことが出来るようになった結果、Javascriptのようなものでプログラミングしておき、それをダウンロードし、クライアント側で処理する、という仕組みになった。
仕組みは複雑になっているけれど、やることは、サーバー側でやるかクライアント側でやるかの違い。
ハードウェア、ソフトウェア両方の技術的な進歩で、なんか変わったことが出来るように感じるだけで、つまり、出来ることが多くなった、複雑なことが出来るようになった、使い勝手が良くなっただけで、概念はほぼ同じ。
次に、サービスの面で言うと、今はSNS全盛期だけれど、どのSNSも最初の頃はシンプルで良かったのに、注目も集めないといけないし、使い続けてもらわないといけないので、次から次へと機能追加。
今となっては、結局、どのSNSも同じような感じになってしまっている。
その点、Twitterは初期の頃の文字数制限を守っていて、いいな、なんて思っていたけれど、結局文字数拡大をするという。
それだとTwitterのいい意味での良さがなくなるし、他のSNSとの差別化がなくなってしまうというか、文字数を拡大すると他のSNSのような感じになっていくのではないだろうか?
とまぁ、どの業界でも、最初はシンプルだったとしても、全て同じ方向、つまり、多機能、大型化して、同じような感じになってしまう、というのがわかる。
こういう観点で見ると、どの業界であっても、既にその中に雛形がある、ということ、つまり、手本というか完成形は既にある、ということだろうね。
別の言い方をすれば、形は変わったように見えても、時代は繰り返す、ということだ。
面白いものだ。
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